放浪人の物好き日記

生きる。導かれるままに生きる。

幸せな猿と、passionateな机上実験。

幸せに生きる、ということ。

それは仙人もおっしゃっているように、幸せに囲まれて生きる、ということ。

むしろ、身近な幸せを見つけ出すこと。

mylifeisbeautiful.hatenablog.com

 

非常に、共感する。

 

【今日の目次】

  1. 日常の幸せ
  2. 想像の力
  3. 幸せ感と志
  4. 幸せ実験

 

1. 日常の幸せ

私の一番、幸せだったのは河合塾で予備校生をしていた頃だ。

大学受験生で、そんな人はレアかもしれない。

日常が、毎日キラキラしてた。

特に秋ぐらいまでは、毎日、楽しかったな。

 

河合塾の東大クラスには、変なやつがいっぱいいる。

というか、99%が変なやつで構成されている。

考えてもごらんなさい、クラスのメンツを。

 

出身はだいたい、有名な進学校

みんな高校三年生の時に、勉強をしたのだけど、一歩か二歩足りなかった。

早稲田や慶応からなら、合格もらったけど、もう一年頑張ろうかな。

 

そもそも、有名な進学校って、面白いよ!

日本中の才能が集まる環境で育まれた個性が光ってます

そんな面白い仲間(ライバル?)と切磋琢磨する場所でした。

 

 

僕は高校を出たてで、新しい環境で、自分は変わるのだと信じていた。

毎日、一生懸命生きようとした。

そして、たぶんちょっと変わっていて、素敵な毎日。

 

例えば、僕はみんなとライバルになるのが嫌だった、たぶん。

せっかくなら、励ましあえるような仲間になりたかった。

だから、ランチの時間に、クラスの一人ひとりと隣でご飯食べながら、話を聞いた。

夢を聴いた。

 

大学受験に夢もクソもない

それはそうかもしれない。

でも、僕は人の夢を聴くことにワクワクした。

とてもシンプルに、純粋に。

 

毎日、違う可能性、夢に出会えるのは、とても素敵なことだ。

 

 

もう一人、クラスで随一に変なやつにNという男子がいる。

彼は講師・クラス中から"N"と呼ばれるぐらい、変わっている。

この女子のようなマッシュルームヘアーに、「君の方が変わっているよ」と言われた。笑

 

日付が進むと、授業の座席もなんとなく定まってくる。

僕は、このNらと一番前に座って聞いていた。

 

授業が特段楽しかった訳ではない。

いや、楽しくなかった訳でもない。

 

 

授業には、二つの意味を感じている。

一つは、生きる芸術

講師が自分の生き様をかけている。

そんな頭のおかしい人たちの情熱が、ときどき迸っている。

そんな空間に、自分の時間を見いだすのは、悪い気分ではなかった。

 

もう一つは、一つのカタチ。

毎日、この時間から始まって、こんな感じで進む。

その安定感、朝の挨拶のようなものだ。

ときどき昼寝したかもしれないから、これが最善の効率かと疑問はある。

しかし、それでもカタチがあるから、カタチのないものを見定めることができる。

そんな気がしていた。

 

さておき、以上、筆者の個人的な楽しい楽しい予備校生活を赤裸々に吐露してきた。

 

 

今日のブログは幸せについて、考える。

だから、これまでで一番幸せ感のある日常について述べてきた。

 

さて、ここで閑話休題

トイレ休憩を済ませたところで、話題を本題へ。

 

2. 想像の力

 

幸せの原動力は、想像力だ。

これは以前の記事と、微妙にリンクする。

ryota-akimoto.hatenablog.com

 

予備校生だった時の本郷に、博多ラーメンの行きつけがあった。

筆者は、店主と与太話をするのが大好きである。

そして、その一杯のラーメンの裏側を学ぶ。

 

このラーメンを豚骨ラーメンを作ったオーナーはどこかの頭のおかしい人で、彼自身はほとんど店に顔を出さなくて、どこかで何かしてる。

博士号だ、海外だ、パワーワードが並んだ記憶が残る。

そんなような話を聞きながら、新しい世界観をラーメンから味わう。

ラーメンの裏側、苦労。

そこに人間の匂いがある。

 

・・・

 

それって、すごくないですか。

 

想像力、想像力。

 

僕は、もっと、もっっっっと想像力をたくましくしたい

 

 

仙人もおっしゃっていたけど、

自分は今日も朝を向かえ、生きている。

今日も息をしている。

なんて恵まれているんだ!

私の心臓元気!私息してる!

え、なんなの、この幸せ?

心臓にも、空気にも感謝した。

「世間は厳しく冷たい」と思っている人は今日お母さんに「オムライス作って」と言ってみよう。 - 宇宙人の疑問集

 というのは、誇張のようで、実はそうでもない。

 

ガンダムを見てみよう。

みんな平和のために、戦っている。

 

この平和な日々を実現するために、どれほどの熱意が傾けられたか。

これまでに傾けられてきたか。

 

こんなロジック好きなんだよな。

すごく、人って捨てたものじゃないよね、って気分になれない?

 

まどかマギカの例で言えば、まどかはこの世界から存在を抹消されてまで、世界の幸せを祈った。

一年前、シンガポールからの留学生と劇場版を見ながら、熱心なキリスト教徒の彼は、イエスの殉教と本質が似ていると教えてくれた。

人の幸せを願い、想像を超える熱意がこの世界に捧げられている。

そんなストーリー。

 

いつもの日常は、非常に単調かもしれない。

というか、単調そのもの、それが表面的な事実だろう。

 

人間は慣れてくる。

生きることにも、慣れてきて、無感動。

 

しかし、数多の人々が、この世界の幸せを願った。

そんな幸せな世界に、僕らは生きている。

人間の情熱が、この世界に隠されている。

 

 

ここで、白湯を一杯飲んだら、もう一つ閑話休題と行こう。

次は筆者が思う、日々の疑問である。

 

3. 幸せ感と志

 

「幸せを願う」のは、人間が満たされているからだと筆者は考えている。

つまり、先述の仙人の述べる通り、幸せの渦に突っ込んでいる状態。

自らが幸せに満たされた時に初めて、純粋に心から情熱を込める大志が生まれる。

 

大志というのは、他人に夢を語る、ということだ。

河合塾の時の苑田先生(物理)や、Fate Apocrypha天草四郎

自らが源泉となって、世界を幸せの渦に導く。

というか、導こうと思っているわけではないのだけど、自然と導いちゃっている人たち。

 

ここに、一つ目のクエスチョンだ。

幸せに満たされているからこそ、大志は生まれるのだろうか。

これはぜひ仙人に聞いてみたい問いだ。

 

僕が読み返していて思うに、きっと仙人は「考えすぎだ」とおっしゃるだろう。

うん、そんな気もする。理由はない。

気持ちが良い日は、気持ちが良いのだ、と。

 

それでも、筆者は切に、気持ちが良い日をたくさん過ごしたいと願う。

そして、大志とともに生きる。 

 

筆者はそんな贅沢な願いを胸に、青春の向上心が湧くタチである。

 

4. 幸せ実験

次の疑問に移ろう。

「幸せに満たされる」という状態について考えてみたい。

今までの「想像力」に要約される文章から、さらに発展して考えたい。

 

想像力が大事、と言っても、実感が湧くかどうかは全く別の問題である。

「世界の平和に感謝する」と言っても、その気持ちを心で感じられるかどうかは別である。

 

幸せの体感を目指して、ここで小さな実験をしてみよう。

 

身近な例として、筆者の平凡な日常を題材する。

  • 朝、暖房の入った暖かい部屋で目覚める。
  • ケトルで水を沸かして、白湯を飲む。
  • 朝食のシリアルを食べる。
  • アメリカ・イギリス発のニュースをスマホで読む。
  • のんびりする。
  • 小雨が降るなか、自転車をこぐ。

この日常から「すごい!」ポイントを抜き出してみたい。

ぜひ一緒に考えていただきたい。

  • セントラルヒーティングを発明したおじさんの熱意、やばパナイ。きっと、火傷したりとか大変だったんだろうな。(妄想)
  • ケトル発明した人も、すごいよな。というか、これを工場で管理している人も大変なんだろうな。ときどき、配送が遅れたりとか、文句言われたりしながら、それでも毎日作っているんだろうな。
  • シリアル、毎日こうやって新鮮な牛乳とシリアル食べられる。シリアルを作る装置ってどうなっているのだろう。きっとプロセス、多段階だよね。乾燥させて、混ぜて。検品もしなくちゃ。
  • 世界中のニュース、読めるってやばくない。フェイスブック、ありがとう。Huaweiありがとう。Wifi、ありがとう。Wifiって当初、軍事目的で開発されたんだよね。Wifiのために、天に召された命に祈ります。
  • のんびりする。至福ののんびりタイム。まったり考え事。
  • 小雨の自転車、自転車道を整備してくれてありがとうー、政府。そうか、きっと近所のオランダ人が税金を払ってくれているからだよね、そうかここの図書館員の皆さんもだ。おかげさまで、それなりに快適な自転車ライフを、僕も享受させてもらっています。

想像以上に、素直に感謝ポイントが浮き上がってきた。

仙人のブログはいつも、感謝に満ちている。

筆者のブログ上に、これほど「ありがとう」が並んだのは初めてだ。

想像以上に、簡単なことなのかもしれない。

 

 

筆者は、人間の情熱が好きなようだ。

 

ここに、二つ目のクエスチョンは解決されつつある。

「幸せをいかに体感するか」という問いは、自らが価値を見いだす本質を問うている。

 

つまり、事象を自らの幸せポイントに結びつけてみてはどうか。

一つの出来事に、数多の解釈が存在する。

例えば、オランダのスーパーで買い物をする。

解釈の例

  • レジのお姉さん、素敵な笑顔ありがとう。
  • スーパーで必要な大人数の採用担当の人、ありがとう。
  • スーパーの商品管理、ありがとう。
  • 毎日、遅くまでオープンしてくれてありがとう。
  • 必要ならみんな英語で話してくれて、ありがとう。
  • いつも、レジの定型句が同じで、ありがとう。おかげさまで、オランダ人の振りごっこができるぜ。"Bontje mee? Ja!"
  • Bonus cardという名目で、データ集めまくってくれてありがとう。きっと、そのデータ、購買履歴は人間の可能性を教えてくれる。
  • 配送が遅れてなくて、ありがとう。配送の人もありがとうだ、荒れてない天気もありがとう。

などなど、キリがない。

無数に存在する解釈には、それぞれの個性、方向性がある。

個人が自分の好きな解釈をしてみよう。

 

「何に感謝をしたいか」がその人間を表現している。

 

そもそも、こうやってオランダで暮らせるって、やばい。

  • ビザ制度整えてくれて、ありがとう。
  • 世界中が英語で繋がれる。世界の英語教育、ありがとう。
  • もはや外国人をみてもどうとも思わない、オランダ人。同胞が少ない中で、expat地位向上に尽力された歴代の先人に感謝。

 

 

Dirk っていうスーパーのユニークな店頭広告。

「Albert Heijn (近所、徒歩3分の最王手チェーン)より安いぜ」、と。

論より証拠、オランダらしい。

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皆さんの日常にも、素敵なハプニングがありますように。

むしろ、日常からハプニングが剥き出しになりますように。