他人を"評価"するということ。
久しぶりにだいぶ深酒した。
深酒するのはよくあることなのだが、マーライオンしたのは1年ぶりぐらい。
日本酒って怖いですね。
さて、前置きはさておき。
人間が人間を見るときって、ステレオタイプかけますよね。
この記事の論旨を一言でいうと、ステレオタイプって悪いことではないんだろうけど、どうなんだろう。
「君ってこういう人だよね。」
その前提で、相手の行動を解釈する。
行動の意味とは受信側に依存するもので、言葉の意味が変わってくる。
それって、実はとても効率的な仕組みなのだと思ったりもする。
相手の言動を過去の経緯から類型化したほうが、手っ取り早い。
何も間違ってない。
おそらく経済学的な観点からしても、生産的である。
(最近、経済学にハマっている。)
でも、類型化って、実は結構息苦しくないか。
とくに、話をしていて「あー、この人、きっとわかってくれないのかな」や「きっと自分の解釈の結論に持って行ってしまうんだろうな」など思った瞬間。
発信側の無力感。
受け取る方が、自分のなかの「〇〇くん/さん像」を相手に押し付けている。
相手に何らかの期待をしている。
自分の予想に沿うことを求めている。
”期待”って一つのキーワードだと思う。
他人に期待をする、自分の理想を押し付けるときって、きっと目の前の相手を見れていない。
人間だから、感情は混じってしまうもの。
それはとても自然なこと。
それでも、一人ひとりと中立的に向き合っていきたい。
何も感情を交えずに。
生産性を考えたときに、人間関係を資本とする仕事って大変なんだろうなと思う。
相手の言動を解釈する効率性と打算性。
その限界で向き合い続ける作業の連続なのかもしれない。
「早稲田」とは何か。〜早稲田祭2015の暁に〜
早稲田が”早稲田色”に染まる日。
それが、昨日と今日だったのかな。
そんなことを思って、早稲田祭の余韻のなかで言葉を起こしてみます。
「早稲田」って「家族」だと思う時がある。
この強烈な”ナショナリズム”は他の大学に負ける気がしない。
エンディングフェスティバルで「早稲田の誇りNO.1」って叫んだり、周りの人と肩組んで紺碧の空歌って。
早稲田生は入学式から早稲田の洗礼を受ける。
公式に応援部が壇上に登って、新入生は隣の人と肩を組む。
そして、わからない歌詞をたどりながら体を揺らす。
入学式を抜けて、日を追うごとに、早稲田の細胞が体内に侵食していく。
早稲田OBが「早稲田」という単語に反応してしまうのは、身体が脊髄反射しているのではないかと推測している。
早稲田祭を見ていて、本当に驚くことがある。
これは本当に早稲田で起きている物語なのだな、と。
どんな人間をも受け入れる文化。
すべての人間を暖かく包み込む。
この二日間、早稲田生が輝いている。
そんな姿だと勘違いするのだ。
普段は授業で睡眠学習していても。
みんな、それぞれの生き方がある。
「早稲田」という名の下に、みんなが集まる。
それが早稲田の”家族”性。
「早稲田大学校歌」が聞こえれば、口が動く。
「紺碧の空」が聞こえれば、身体が動く。
それは理屈ではない。
早稲田生の”心”を支える。
それが「早稲田」なのかな。
そんなことを日本酒を飲みながら考えてみる。
なお、これはあくまで一個人としての感想。
どうぞご参考までに。
早稲田には多種多様な人材がいる。
50,000人、50,000通りの解釈がある。
そこはどうぞ勘定してくださいませ。
50,000通りのdiversityまで含めて、”早稲田”らしさに敬服と感謝を示して。
《参考資料》
早稲田の入学式の模様(2015)
校歌と紺碧の作法が詳しく説明されています。
応援部曰く「この二つを完璧に覚えれば早稲田の学生生活は基本的には大丈夫だ」とのこと。
地上の星。
ヤップにいたときのこと。
天気の良い日は、毎晩星を眺めていた。
東京の星は地上にあったのだな。
帰国しました。
無事に日本の我が家に帰ってきました。
台風の最中、虹がきれい。
グアムの朝焼け。
ヤップからのトランジット。
グアムで早朝を迎えました。
朝6時、国際線ゲートより。
ヤップからのお便り。
今日もヤップの空はきれいです。
首都コロニアに向かう車中より。
潮も満ちていたので、朝から海に入ることができました。
とてもきれいな海。
ヤップのことはべつのブログでまとめて書こうかな。