放浪人の物好き日記

生きる。導かれるままに生きる。

月夜の山登り@9合目リフト前

Hallo, goedmiddag.

 

今日のテーマは、志と目標だ。

 

人生、山あり谷あり。

一つの目標・山を越えると、予想外な光景が広がる。

 

特に、高い高い山を越えようとするとき。

そんな時は、山を越えた先に何があるのか。

周りの景色も、その景色をみた自分の心の変化も検討がつけられない。

むしろそんな山だからこそ登りたい、という武者もいる。

 

まず一つ。

山を越えると、目標がなくなる。

「あれっ」となる。

フランス人の言う所の「オーララー」か。

 

こんな場面を想像してもらいたい。

ーーー

あなたは、山の9合目まで登りきった。

ここから先は、山頂までリフトがある。

リフトは調整中だ。

 

歩いて、山頂まで行くことはできない。

切り立つ絶壁と、この季節特有の暴風。

 

あなたにできることは、ただ一つ。

リフトの修理をしているおじさんたちに進捗をきく。

工具を運んだり、できるお手伝いをする。

あなたがリフトに無事乗れる確率は8割。

 

リフトは数週間で見通しがたつ。

そして、ただ時の流れに身を任せる。

 

さあ、情景が思い浮かんだだろうか。

 

あなたなら、何を思うだろう。

 

これまでに登ってきた山の数々。

そして、その新しい山頂を目の前にしている。

山頂の奥に広がる雲海がのぞいている。

 

これから先は、一つの具体的な景色の提案である。

 

まず、あなたは振り返る。

あなたのいる山は高い。

これまで登ってきた山は、すでに海の向こう。

とても離れている。

それでも、くっきりとあなたの目には見える。

 

これまでの山々での景色が蘇る。

山小屋で一緒にシチュー食べた仲間を思う。

ふと、手紙を書きたくなる。

 

 

次に、この山登りで起こったことを思う。

様々な人が、あなたの山登りに登場した。

へんてこりんな人ばかりだった。

彼らには、彼らの人生があって。

それでも、あなたの山登りに関わってきた。

 

 

最後に、これから起こるかもしれないことを思う。

山頂はすぐそこ。

山頂からの景色は、ちょっと想像できる。

そうだ、そこへ行くことになる。

 

 

9合目に到着してから、一週間が過ぎた。

修理おじさんのお手伝い歴、一週間。

 

 

あなたは、すでに山の向こう側を考える。

山頂の土を踏むような気がする。

どちらにせよ、こんな「山頂目の前」だ。

山頂の土を踏むことにこだわりはない。

形式的な賞賛よりも、欲しいものがあるのだ。

この山には感謝をしている。

 

あなたは、とても貪欲だ。

あなたは、だんだんと見慣れて行く光景に、判断力を取り戻す。

そして、生来よりゆったりした時間を過ごす。

そんな、ささやかな平和のなかで、あなたの人生を想う。

振り返り、見つめ、向き合う。

 

あなたは、これまでに乗り越えてきた目標をみる。

そして、目標の先にこそ、その人の生き様がある。

目標を通して奏でられる、その人のテーマがある。

 

それを、ある人は志と呼び、ある人は夢と呼んだ。

それは、戦争の時代には「平和」と名前を変える。

 

あなた個人の志。

あなたは、次の山の候補を頭の片隅に置く。

そして、今日もリフトの調整を待っている。

 

目標は手段。

あなたは、目標の先を想う。

 

ーーー

物語はここまで。

 

これは、一つの例え話。

何か、あなたの人生に交差する。

そして、新しい気づきをもたらす。

 

そんなことを願います。

イースターの風変わりな卵

4月、新しい季節の始まりだ。

春、道端にはかな花が咲き乱れる。

 

オランダでは、チューリップをはじめ、全てがカラフルに包まれる。

今日の空は、冬の名残を残した灰色だ。

しかし、時期に夏に向けて青空も増えてくるに違いない。

 

日本では、綺麗なピンクのの時期だ。

フェイスブックでは、運河の頭上へ枝を伸ばす桜の木。

そして、ハラハラと舞い散る桜の美しい写真が流れている。

 

 

オランダで過ごして、戦って何を学んだのだろう。

今日は、自分の学びを、自らのために振り返ってみたい。

このイースター休暇までに、大きな変化があったからだ。

 

  1. 病床で思うこと
  2. 派手なモチベーションの裏事情
  3. あなたの「他人」

 

1. 病床で思うこと

 

3月中旬に身体を壊し、一週間ほど寝込んだ。

これは、自分の願いを整理する時間を与えてくれた。

このベッド期間の前後で、生きることへの向き合い方は大きく変わった。

 

 

発熱38.9℃、頭痛、下痢。

ベッドに寝込んで、初めて日本が恋しくなった。

永谷園のお吸い物の素をありったけ使った。

醤油(残念ながら日本の味ではない)を使って卵焼き。

おかゆを作ると、しらすが欲しいな。

 

ポテトはいっぱいある。

そうか、肉じゃがではなく「煮っころがし」だっけ。

 

 

 

家族や人生、これまで出会った人のことを考えた。

父にラインもした。

ベッドから、同じホワイトの天井を見つめた。

今までの自分の価値観と向きあった。

 

 

2. 派手なモチベーションの裏事情

 

"Stand out"することへの興味がなくなった。

なくなったというと言い過ぎかもしれない。

しかし、圧倒的に、欲求がなくなった。

 

ご存知の通り、”stand out”は目立つといった意味だ。

形容詞では"outstanding"がよく使われる。

f:id:Ryota_Akimoto:20180401204337j:plain

 

これは自分の中で「自分と他人の関係性」が変わったのだと思う。

 

Stand outするためには、Outしなければならない。

すなわち常に、他人との背比べ、なのだ。

比べる他人(の集団)があるから、初めてoutすることができる。

Outするためには、他と比較しなければならないのだ。

 

 

むしろ、こんな描写が近い。

f:id:Ryota_Akimoto:20180401204911j:plain

Do whatever you want! I'm happy as far as I can do what I want to do!

比べて、、、どうするの?

他人と背比べてして、嬉しいの?

それがあなたの人生の望みなの?

 

冷静に、生きることの有り難さに感謝する。

 

 

3. あなたの「他人」

 

僕の友達の中には「日本国外で働きたい」という友達がいる。

一定数というか少なくない人数だ。

 

病気で寝込む前まで、筆者もだいぶそのパッションにとらわれていた。

英語で、International colleaguesとworkするって、super coolじゃね?といった具合だ。

 

でも、今思うと"日本国外で働くこと=cool”は自明ではない。

なぜcoolなの?

 

それって、clearly(明らかに) outstandingだったから?

客観的に、事実が違うんだもんね。

  • 海外に住んでいる。
  • 海外の会社に籍がある。
  • 同僚と英語で話す。etc.

でも、その違いって、誰と違うの?

誰と比べているの?

違うから嬉しいの?

 

すでに僕の友達はカオスすぎる。

例えば、Misaki と僕はオランダ語でメッセージをしている。

オランダ語で誤解が生じた時は、英語にスイッチする。

 

彼女は日本人だ。

日本国パスポートを所持している。

両親は日本人だ。

そして、育ちはオランダだ。

 

オランダ社会のなかで、キャリアを組み上げようと頑張っている21才。

http://www.misakisaraya.nl/

 

 

 

他にも、Amirくん。

彼は留学先での学友で、学生寮も近くだった。

沼津の高校に通った後に、こちらの大学へ正規入学した。

メッセージは英語ですることが多いけど、会うと日本語で話すことが多いかな。

ホームページ作成の個人事業もしている。

 

メッセージはシンプルだ。

このような多様なバックグラウンドをもつ覇気ある若者と、日本で出会うことはあるだろうか。

もちろん、あり得るだろう。

 

しかし、このオランダという雨と雲に閉ざされた土地での出会いは、彼らの姿をより印象的にする。

 

 

あなたは何を望むの?

 

そのシンプルで、実に奥深いクエスチョン。

違うことが嬉しい気分なら、outstanding。

そうでないなら、それもまた一興。

 

雨粒と自転車の狂騒曲

今日は久しぶりに分かりやすいテーマ。

テーマは「寒さ」だ。

 

mylifeisbeautiful.hatenablog.com

 

ここには良いことが書いてある。

寒いから、動く。

 

筆者が体験した、去年の冬の話をしよう。

去年は、アムステルダムの大学で勉強していた。

学生寮から大学へは、オランダ自慢の自転車である。

 

ある冬の日、空は朝から真っ暗だった。

あつーいあつーーい雲に覆われていた。

 

 

徒歩30分、自転車で10分の道のり。

外気温はどのくらいだっただろうか。

おそらく0度前後だっただろう。

そして、いつも通りの強風、例えば70km/hぐらい。

 

大学に行くまではよかった。

幸いにも、雨も降っていない。

 

講義を終えて、友達と提出課題をこなす。

コンピュータルームで、Stataをいじりながら、解答案を作る。

授業の話は、また今度にしよう。

 

そして、外も真っ暗になった、6時くらいであろうか。

もうお腹はペコペコ

 

みんなで、家路へ向かう。

外は、したたかにが降っている。

まさしく殺人的である。

 

オランダ人の友達は、遠方に住んでおり電車を使う。

近くのトラムの駅からは快適な電車旅が待っている。

 

いや、そもそもオランダ人は悪天候に慣れている。

最寄りの電車の駅についたら、どうするのだろう。

今思うに、駅から徒歩かバスで帰れる距離に住んでいなかったら自転車だろう。

人によっては、近くの高校に通うために1時間自転車に乗るという。

夏は爽快にしても、まさに「アメニモマケズカゼニモマケズ」という言葉を連想させる。

 

さて、話を冬の場面に戻す。

 

そこで、筆者はひとり戸惑った。

この痛快な雨のなかを、自転車で帰るか否か

 

もちろん、できることならしたくない。

 

ほかの手立てを考えてみよう。

しばらく大学で待機することができる。

しかし、この雨が2時間待って止む保証はない

何より、お腹が減っているのだ。

 

そんな思案を連日重ねるうち、人間の感性は適応する。

 

Just Do It!!

 

ということで、外に出る。

もちろん傘は使わない。

 

パーカーを目深く被り、自転車のライトをつける。

そして、その荒れた、冷たい雨のなかへ飛び出すのだ。

 

飛び出してしまえば、あとは足を動かす

身体を動かし、目的地を目指す。

 

最大の障害は、目に飛び込んでくる雨粒だ。

逆風の時など、時速100kmはあるのではないか。

メガネを鼻の上に持ち上げ、防御を試みる。

しかし、自転車を必死にこぐあまりの皮脂と、降り注ぐ雨露のコンビネーションに、あっという間にメガネは元の位置へ落ちる。

 

もう大学を出たら、一直線だ。

スーパーに寄りたければ、寄ればよい。

しかし、どこにも避難はできない。

避難をしても意味がない。

なぜなら、もう身体は濡れている。

 

きっと、いつか部屋へ戻れる。

そして、自転車をこぐことによって、その目的は達成される。

 

ここで、皆さんには部屋に帰ったあとのオランダ人の気持ちを想像していただきたい。

 

 

 

オランダの冬は長い。

筆者が推測するに、オランダ人は独特な「しなやかに強靭な感性」を獲得した。

 

この一連のストーリーから学べることを考えたい。

筆者は、二つのポイントを見出した。

  • とりあえずヤバそうでも、やってみる
  • やりだしたら、とりあえずやる☆

雨が降っているとわかっているなか、自転車にまたがる。

どんなことが起きるか、馬鹿でもわかる。

それでも、覚悟を決めて進む。

こういった場面に、覚悟という言葉はよくフィットする。

 

そして、自転車道へ出たら、あとは進む。

根気よく。

どれだけの雨粒が目に入ろうとも、ひたすらに前へ。

 

これがオランダ流の、冬の楽しみ方である。

 

去年は、あまりにもひどい雨に、雨粒が気にならない境地に達した。

そして、その翌日に冬は明け、春を迎えた。

f:id:Ryota_Akimoto:20180113073941j:plain

↑これは冬の"okay"な天気。10点満点中6.5点ぐらい。

ベルリンのふんどし

やっぱり好きなものは好きだ。

 

今日の午後、思い切ってLinkedInワークに戻った。

ここ数日、どうもLinkedIn作業に集中する気分になれなかった。

一つには、先に述べたような「この後、どうなるんだろう」という不安がある。

ryota-akimoto.hatenablog.com

 

さて、今日はどうも調子が良い。

というよりも、ベルリンがすごい

ベルリンの高い採用力は、この記事の趣旨である。

 

ドイツへの関心から、Amsterdam, Rotterdamといつも通り検索してから、Koln, Dusseldorf, Berlinと検索してみた。

 

普段、Koln(ケルン)あたりまでは検索することがある。

西ドイツといえば、まあドイツのなかでもオランダの延長のようなものだ。

↑この感想は、オランダに一年半住んだ人の特殊な感想です。

たぶんドイツからすると、オランダが西ドイツの延長?

つまり、どこか似ている雰囲気がある。

 

今日は、ケルンで検索すると、Aachen(アーヘン)の求人が出てきた。

要項自体が英語で書かれているし、これはかなりレア

企業のホームページもビビッとくる、いい感じ!

アーヘンもオランダ・ベルギーと国境が近く、国際的。

好きー!

 

これが好調の第一弾。

 

次に、ベルリンを検索すると、想定外に、出るわ出るわ。

まず西ドイツと比べて、英語で書かれている求人の比率が高い。

そして、なぜか僕のスキルがrequirementにフィットする。

どんどんフィットする。

 

これはとても驚いた。

採用を考える上では、とても良いことだ。

 

一つには、オランダの教育水準が高すぎるからだろう。

つまり、ドイツでは学士号 (Bachelor) だけも普通。

これはいいこと。

 

あとは、ざっと見ていた感じでもopen-mindedなスタートアップが多い。

ミクロネシアのジャングルでサバイバルした、といえば面白がってくれそうだ。

僕にとっては、ヨーロッパもサバイバルみたいなもの。笑

 

そんなこんなで、あっという間に時間が経った。

まだ日没前、おそらく5時前から始めて、気づいたら9時。

 

やはり、未来はワクワクしていないと、ね!

 

 

夕飯後、ふとあるメロディーが頭に浮かんだ。

なんの曲だろうかと、考えていると、けいおん!の「ふわふわ時間」であった。

 

とても素直な歌詞だ。

 

高校を卒業して、大学を卒業して。

 

大好き」を強く持つ。

好きという感情を確かに持って、自分の目の前の作業を愛す。

 

どれだけ生きることに、感情を込められるか。

それは大人のふりをした僕らの、一つの勝負なのだろう。

 

午前1時、もう寝る!

日本では、良い朝を!

タイトルは、決まっていません。

今日のテーマは「不安」についてだ。

 

ここ数日、どうも疲れが取れない。

9時間、10時間寝ても、どうも身体が疲れている。

手先が滑ったり、やる気が出なかったり。

 

さて、原因はなんだろう。

一番有力な答えは「不安」だ。

一ヶ月後に、どこにいるのかわからない、という不安。

 

もっと具体的に話そう。

一ヶ月後に、

  • 今のHoofddorpの部屋にいる確率: 20%
  • ドイツのKoln (ケルン)らへん: 45%
  • 北ドイツのどこか: 15%
  • その他ドイツどこか: 10%
  • 日本、埼玉県の実家周辺: 10%

 

ここまで具体的に、書き出してみると気も楽になる、というものだ。

 

不安は常に、何が起こるかわからない、という状況とセットにある。

状況を納得いくまで、評価できていない。

 

事象をちゃんと解釈する、って実はそんなに簡単なことではない。

いくつかのステップに分解してみる。

  1. 事象の概要を把握
  2. 自分の求めるものを書き出す
  3. 理解した概要から、本質と思われる事柄を抽出
  4. 自分の選択可能なアクションを羅列する
  5. 本質と自分の求めることを基準に、アクションを優先順位付け
  6. 最善のアクションから実行

さらに最善策を実行する為にも、

  1. アクションを実行するための、手段を考える
  2. 具体的なプロセスに落とす
  3. 一個づつ、実行

と、どこかの難しい専門書に書いてあるような文章だ。笑

 

なぜ、こんな小難しいことを羅列したかというと、原理原則にそって、自らの状況を理解したいと望んだからである。

 

実際に実行してみよう。

ふあーん、めっちゃ、ふあーーーん。」(感情・悩み)

→「自分が近い未来に何をどこでしているのか、わからない」(事象)

 

1. 事象の概要

  • 今のHoofddorpの部屋にいる確率: 20%
  • ドイツのKoln (ケルン)らへん: 45%
  • 北ドイツのどこか: 15%
  • その他ドイツどこか: 10%
  • 日本、埼玉県の実家周辺: 10%

決定要因: インタビューの進み具合(40%)、ビザの申請(30%)、友達のヘルプ(20%)、あと気分(10%)

 

2. 自分の求めるもの

自分の夢を叶えること!

めっちゃ面白い友達、仲間を大切に。

とりあえず、

  • International な環境
  • Open-minded to non-natives
  • 心踊る毎日!

が欲しい!

 

3. 本質の抽出

オランダがヨーロッパ有数のInternational cultureを持っているのは事実。

でも、どこに行っても、internationalだったり、Internationalじゃなかったりする。

 

それは例えば、東京だってそう。

あれだけの大規模な都市、経済力がある。

Highly skilled migrants(日本語訳わからん)だって、たくさんいるはず。

優秀な外国人のなかで、日本語話せる人も多いだろうけど、話せない人だっているはず。

 

つまり、ドイツが「Internationalじゃないし、閉鎖的だよね」という議論は、オランダと比較した時に成立する。

これが意味する本質は、比較しても仕方ないよね、ということ。

自分が満足できるかどうか、が大事。

 

ドイツと東京を比較したら、それはドイツの方がはるかにInternationalです。

ドイツ人が英語を話さないって言ったって、それはアムステルダムと比べたら話さない。だけど、東京と比べたらはるかに、英語話すもん。

ここにきて東京出身、日本出身の強みだろうか。

 

ポイントは、自分がその環境に満足できるかどうか。

周囲の環境が数値的にどうであろうと、その環境を感情的に好きになれるかどうか。

 

ドイツで勉強している、働いている友達は知っている。

そして、彼らがドイツライフをエンジョイしているのも。

 

ドイツで、一番好きじゃない大都市は、ベルリン。

ドイツで、一番好きな大都市は、ケルン。ボンも好き。

 

なぜ、ベルリンが好きではないのだろう。

ベルリンって、ゴタゴタしてる。

東京みたいに。

 

 

一生懸命、オランダに残ることに必死だった。

だから、今日はこれに気づけただけでよかった。

 

ビール(小)が500mlで出てくるし、ドイツもいい国ですよ。

好きなところもある。

好きなところがあれば、大丈夫。

 

少なくとも、世界中の中から僕が選ぶ。

だから、きっと僕は好きになる。

幸せな猿と、passionateな机上実験。

幸せに生きる、ということ。

それは仙人もおっしゃっているように、幸せに囲まれて生きる、ということ。

むしろ、身近な幸せを見つけ出すこと。

mylifeisbeautiful.hatenablog.com

 

非常に、共感する。

 

【今日の目次】

  1. 日常の幸せ
  2. 想像の力
  3. 幸せ感と志
  4. 幸せ実験

 

1. 日常の幸せ

私の一番、幸せだったのは河合塾で予備校生をしていた頃だ。

大学受験生で、そんな人はレアかもしれない。

日常が、毎日キラキラしてた。

特に秋ぐらいまでは、毎日、楽しかったな。

 

河合塾の東大クラスには、変なやつがいっぱいいる。

というか、99%が変なやつで構成されている。

考えてもごらんなさい、クラスのメンツを。

 

出身はだいたい、有名な進学校

みんな高校三年生の時に、勉強をしたのだけど、一歩か二歩足りなかった。

早稲田や慶応からなら、合格もらったけど、もう一年頑張ろうかな。

 

そもそも、有名な進学校って、面白いよ!

日本中の才能が集まる環境で育まれた個性が光ってます

そんな面白い仲間(ライバル?)と切磋琢磨する場所でした。

 

 

僕は高校を出たてで、新しい環境で、自分は変わるのだと信じていた。

毎日、一生懸命生きようとした。

そして、たぶんちょっと変わっていて、素敵な毎日。

 

例えば、僕はみんなとライバルになるのが嫌だった、たぶん。

せっかくなら、励ましあえるような仲間になりたかった。

だから、ランチの時間に、クラスの一人ひとりと隣でご飯食べながら、話を聞いた。

夢を聴いた。

 

大学受験に夢もクソもない

それはそうかもしれない。

でも、僕は人の夢を聴くことにワクワクした。

とてもシンプルに、純粋に。

 

毎日、違う可能性、夢に出会えるのは、とても素敵なことだ。

 

 

もう一人、クラスで随一に変なやつにNという男子がいる。

彼は講師・クラス中から"N"と呼ばれるぐらい、変わっている。

この女子のようなマッシュルームヘアーに、「君の方が変わっているよ」と言われた。笑

 

日付が進むと、授業の座席もなんとなく定まってくる。

僕は、このNらと一番前に座って聞いていた。

 

授業が特段楽しかった訳ではない。

いや、楽しくなかった訳でもない。

 

 

授業には、二つの意味を感じている。

一つは、生きる芸術

講師が自分の生き様をかけている。

そんな頭のおかしい人たちの情熱が、ときどき迸っている。

そんな空間に、自分の時間を見いだすのは、悪い気分ではなかった。

 

もう一つは、一つのカタチ。

毎日、この時間から始まって、こんな感じで進む。

その安定感、朝の挨拶のようなものだ。

ときどき昼寝したかもしれないから、これが最善の効率かと疑問はある。

しかし、それでもカタチがあるから、カタチのないものを見定めることができる。

そんな気がしていた。

 

さておき、以上、筆者の個人的な楽しい楽しい予備校生活を赤裸々に吐露してきた。

 

 

今日のブログは幸せについて、考える。

だから、これまでで一番幸せ感のある日常について述べてきた。

 

さて、ここで閑話休題

トイレ休憩を済ませたところで、話題を本題へ。

 

2. 想像の力

 

幸せの原動力は、想像力だ。

これは以前の記事と、微妙にリンクする。

ryota-akimoto.hatenablog.com

 

予備校生だった時の本郷に、博多ラーメンの行きつけがあった。

筆者は、店主と与太話をするのが大好きである。

そして、その一杯のラーメンの裏側を学ぶ。

 

このラーメンを豚骨ラーメンを作ったオーナーはどこかの頭のおかしい人で、彼自身はほとんど店に顔を出さなくて、どこかで何かしてる。

博士号だ、海外だ、パワーワードが並んだ記憶が残る。

そんなような話を聞きながら、新しい世界観をラーメンから味わう。

ラーメンの裏側、苦労。

そこに人間の匂いがある。

 

・・・

 

それって、すごくないですか。

 

想像力、想像力。

 

僕は、もっと、もっっっっと想像力をたくましくしたい

 

 

仙人もおっしゃっていたけど、

自分は今日も朝を向かえ、生きている。

今日も息をしている。

なんて恵まれているんだ!

私の心臓元気!私息してる!

え、なんなの、この幸せ?

心臓にも、空気にも感謝した。

「世間は厳しく冷たい」と思っている人は今日お母さんに「オムライス作って」と言ってみよう。 - 宇宙人の疑問集

 というのは、誇張のようで、実はそうでもない。

 

ガンダムを見てみよう。

みんな平和のために、戦っている。

 

この平和な日々を実現するために、どれほどの熱意が傾けられたか。

これまでに傾けられてきたか。

 

こんなロジック好きなんだよな。

すごく、人って捨てたものじゃないよね、って気分になれない?

 

まどかマギカの例で言えば、まどかはこの世界から存在を抹消されてまで、世界の幸せを祈った。

一年前、シンガポールからの留学生と劇場版を見ながら、熱心なキリスト教徒の彼は、イエスの殉教と本質が似ていると教えてくれた。

人の幸せを願い、想像を超える熱意がこの世界に捧げられている。

そんなストーリー。

 

いつもの日常は、非常に単調かもしれない。

というか、単調そのもの、それが表面的な事実だろう。

 

人間は慣れてくる。

生きることにも、慣れてきて、無感動。

 

しかし、数多の人々が、この世界の幸せを願った。

そんな幸せな世界に、僕らは生きている。

人間の情熱が、この世界に隠されている。

 

 

ここで、白湯を一杯飲んだら、もう一つ閑話休題と行こう。

次は筆者が思う、日々の疑問である。

 

3. 幸せ感と志

 

「幸せを願う」のは、人間が満たされているからだと筆者は考えている。

つまり、先述の仙人の述べる通り、幸せの渦に突っ込んでいる状態。

自らが幸せに満たされた時に初めて、純粋に心から情熱を込める大志が生まれる。

 

大志というのは、他人に夢を語る、ということだ。

河合塾の時の苑田先生(物理)や、Fate Apocrypha天草四郎

自らが源泉となって、世界を幸せの渦に導く。

というか、導こうと思っているわけではないのだけど、自然と導いちゃっている人たち。

 

ここに、一つ目のクエスチョンだ。

幸せに満たされているからこそ、大志は生まれるのだろうか。

これはぜひ仙人に聞いてみたい問いだ。

 

僕が読み返していて思うに、きっと仙人は「考えすぎだ」とおっしゃるだろう。

うん、そんな気もする。理由はない。

気持ちが良い日は、気持ちが良いのだ、と。

 

それでも、筆者は切に、気持ちが良い日をたくさん過ごしたいと願う。

そして、大志とともに生きる。 

 

筆者はそんな贅沢な願いを胸に、青春の向上心が湧くタチである。

 

4. 幸せ実験

次の疑問に移ろう。

「幸せに満たされる」という状態について考えてみたい。

今までの「想像力」に要約される文章から、さらに発展して考えたい。

 

想像力が大事、と言っても、実感が湧くかどうかは全く別の問題である。

「世界の平和に感謝する」と言っても、その気持ちを心で感じられるかどうかは別である。

 

幸せの体感を目指して、ここで小さな実験をしてみよう。

 

身近な例として、筆者の平凡な日常を題材する。

  • 朝、暖房の入った暖かい部屋で目覚める。
  • ケトルで水を沸かして、白湯を飲む。
  • 朝食のシリアルを食べる。
  • アメリカ・イギリス発のニュースをスマホで読む。
  • のんびりする。
  • 小雨が降るなか、自転車をこぐ。

この日常から「すごい!」ポイントを抜き出してみたい。

ぜひ一緒に考えていただきたい。

  • セントラルヒーティングを発明したおじさんの熱意、やばパナイ。きっと、火傷したりとか大変だったんだろうな。(妄想)
  • ケトル発明した人も、すごいよな。というか、これを工場で管理している人も大変なんだろうな。ときどき、配送が遅れたりとか、文句言われたりしながら、それでも毎日作っているんだろうな。
  • シリアル、毎日こうやって新鮮な牛乳とシリアル食べられる。シリアルを作る装置ってどうなっているのだろう。きっとプロセス、多段階だよね。乾燥させて、混ぜて。検品もしなくちゃ。
  • 世界中のニュース、読めるってやばくない。フェイスブック、ありがとう。Huaweiありがとう。Wifi、ありがとう。Wifiって当初、軍事目的で開発されたんだよね。Wifiのために、天に召された命に祈ります。
  • のんびりする。至福ののんびりタイム。まったり考え事。
  • 小雨の自転車、自転車道を整備してくれてありがとうー、政府。そうか、きっと近所のオランダ人が税金を払ってくれているからだよね、そうかここの図書館員の皆さんもだ。おかげさまで、それなりに快適な自転車ライフを、僕も享受させてもらっています。

想像以上に、素直に感謝ポイントが浮き上がってきた。

仙人のブログはいつも、感謝に満ちている。

筆者のブログ上に、これほど「ありがとう」が並んだのは初めてだ。

想像以上に、簡単なことなのかもしれない。

 

 

筆者は、人間の情熱が好きなようだ。

 

ここに、二つ目のクエスチョンは解決されつつある。

「幸せをいかに体感するか」という問いは、自らが価値を見いだす本質を問うている。

 

つまり、事象を自らの幸せポイントに結びつけてみてはどうか。

一つの出来事に、数多の解釈が存在する。

例えば、オランダのスーパーで買い物をする。

解釈の例

  • レジのお姉さん、素敵な笑顔ありがとう。
  • スーパーで必要な大人数の採用担当の人、ありがとう。
  • スーパーの商品管理、ありがとう。
  • 毎日、遅くまでオープンしてくれてありがとう。
  • 必要ならみんな英語で話してくれて、ありがとう。
  • いつも、レジの定型句が同じで、ありがとう。おかげさまで、オランダ人の振りごっこができるぜ。"Bontje mee? Ja!"
  • Bonus cardという名目で、データ集めまくってくれてありがとう。きっと、そのデータ、購買履歴は人間の可能性を教えてくれる。
  • 配送が遅れてなくて、ありがとう。配送の人もありがとうだ、荒れてない天気もありがとう。

などなど、キリがない。

無数に存在する解釈には、それぞれの個性、方向性がある。

個人が自分の好きな解釈をしてみよう。

 

「何に感謝をしたいか」がその人間を表現している。

 

そもそも、こうやってオランダで暮らせるって、やばい。

  • ビザ制度整えてくれて、ありがとう。
  • 世界中が英語で繋がれる。世界の英語教育、ありがとう。
  • もはや外国人をみてもどうとも思わない、オランダ人。同胞が少ない中で、expat地位向上に尽力された歴代の先人に感謝。

 

 

Dirk っていうスーパーのユニークな店頭広告。

「Albert Heijn (近所、徒歩3分の最王手チェーン)より安いぜ」、と。

論より証拠、オランダらしい。

f:id:Ryota_Akimoto:20180111040807j:plain

 

 

皆さんの日常にも、素敵なハプニングがありますように。

むしろ、日常からハプニングが剥き出しになりますように。

厳しい滝修行に潜む優しさ

オランダの平日。

1月8日、月曜日。

 

今日はLinkedInを使って、求人への応募をしていた。

18時から、ずーーーーーーーー〜っと一時間くらい。

 

そうすると「ないない症候群」になるわけです。

あれがない、これがない。

 

例えば、僕の場合。

修士号 or 博士号 がない

SQL を使ったことがない

Hadoop, spark, 機械学習は専門ではない

・Working experience が足りない

オランダ語がわからない

・ドイツ語がわからない

・フランス語がわからない

などなど。あげればキリがないのです。

 

 

シャワーを浴びてから、夕飯!

アメリカンチキンハンバーグを食べてから、ふと考えるわけです。

 

ないないない〜〜〜

(モヤモヤ)

 

 

ふと思い立って、仙人のブログを読みました。↓

今日の新しい記事が更新されていた。

mylifeisbeautiful.hatenablog.com

 

仙人は、こうおっしゃるわけです。

甘えることで、優しさを学びなさい。

優しさの渦に突っ込みなさい、と。

生きていれば、なんでもできるのだ、と。

 

 

…ここまで読んで気になる方は、読み進む前にリンク先を。

そのほうが、スッキリ理解が進むと推測します。

 

 

さてブログを読んで、ふむふむしてから、筆者は気づいてしまったのです。

「あー、なるほど。」

その後、一人で大爆笑。

 

 

筆者の気づきは、自らの選択が優しさであったこと。

 

 

まず筆者は、極端な想像を試みます。

筆者に奇跡が起きて「ないない症候群」を克服した。

「あるある」の状態。

なんでも、あるぜ。

これもできる、あれもできる。

すごいぜ、すごいね。

 

 

さて、そんな自分を想像して、気づいたことがあります。

 

・・・

 

十中八九、それって楽しくない。

 

 

うん?

 

今なんて?笑

 

 

お分かりでしょうか。

筆者は「あるある状態」の自分を想像した。

そして、仕事選び放題、オファーもらい放題を想像した。

そして、そんな現実がきたら嫌だと、幻滅した。

 

なんだ、そのオチ。

この衝撃的な結末に、共感していただけるだろうか。

 

この大爆笑が示すこと。

 

それは「できないから、やっている」んだよね。

 

 

つまり、

「世間が冷たいから、厳しいから」ではなく、

「自ら厳しい場所を好んで選ぶ」という甘え。

 

できねえーって、簡単にできるはずがない。

だって、簡単にできることだったら、自ら選ばないもん。

 

ここで、厳しさと優しさが二項対立であったと仮定しよう。

厳しさの反対が優しさであったなら。

筆者は「ないない」と現実の厳しさを嘆いた。

そして、その見せかけの厳しさは、甘えを許す優しさであった。

 

 

ここに大転換が存在する。

仙人の言葉を借りれば「自分で厳しさに突っ込んでいく」から「自分で優しさに突っ込んで、幸せであろうよ!」ということである。

 

自分の突っ込む先が、厳しさの衣を纏った優しさであった。

 

まあ、それではすぐにできなくても、しょうがないな。

だって、初めから簡単にできない仕様なのだ。

 

それは、ソードアートオンラインのレベル上げに似ている。

自分のレベルから考えると、ちょっと難易度の高い迷宮区を歩く。

出てくる敵がめっぽう強い。

 

・・・当たり前だ。そこを歩いているのだから。

 

まあ、たまには文句を言いながら、手強い迷宮区を歩くのも悪くない。

文句をいう対象がある、というのは素晴らしいことだ。

 

 

 

「ないない」はなくなることがない。

「世の中の全てのことができるようになる」ことはない。

 

「ないないの壁」は変わらない。

それでも、きっと自分の欲しいものはすでに手元にある。

そんな気づきのシェアでした。

 

先日は、Amsterdam でインタビューでした。

f:id:Ryota_Akimoto:20180109073714j:plain

 

Have a nice day!